【インタビュー】「これがディズニー・マジックだ」本場で見たパーク運営。「ディズニーランドの魔法」を実現できた理由とは 元東京ディズニーリゾート運営部長・安孫子薫(前編)

2018.04.13 エキスパート

1983(昭和58)年に開業し、日本のレジャー産業のあり方を大きく変えた東京ディズニーランド。パークで働くキャスト(従業員)が見せるホスピタリティはゲスト(来園者)に感動を与え、その運営手法は業界を超えて数多くの企業が参考にしています。

安孫子薫さんは、東京ディズニーランド開業時から運営に関わってきた1人。カストーディアル(清掃)部門の立ち上げに尽力し、キャストの意識改革を成し遂げたことで知られています。その後のディズニーシーの開業を経て、ディズニーリゾートの運営部長として活躍された後は、キッザニアにも携わり、従業員の意識改革まで含めたテーマパーク運営のエキスパートです。

東京ディズニーランドは、どのようにして現在の高いレベルのサービスを実現できたのか、その取り組みをうかがいました。インタビュアーは元テレビ東京アナウンサーの白石小百合さん。前編では、安孫子さんが体験した「開業前夜」のストーリーをお聞きします。

 

「東京ディズニーランドは成功しない」。開業前は不安視されていた日本のテーマパーク市場

白石小百合さん(以下、白石):安孫子さんは報知新聞社勤務を経て、東京ディズニーランド開業前の㈱オリエンタルランドへ移られています。まったく違う分野への挑戦だったのではないでしょうか?

安孫子薫さん(以下、安孫子):新卒で入社した報知新聞時代には、営業やイベントの企画運営などを担当していました。「人を楽しませる」という部分での共通点はありますが、確かに大きなキャリアの転換でしたね。

 

白石:なぜオリエンタルランドへ?当時はディズニーランドも開業前でした。

安孫子:紙媒体の将来性に不安があったんです。何より、東京ディズニーランドの構想を聞いてワクワクする部分が大きくて。「楽しそう」というのがいちばんの理由です。

とは言え、「本物のディズニーランドが浦安に来るのだろうか?」と半信半疑でもありました。プロジェクトそのものは動いていて、浦安の工事も進んでいましたが、他の企業団体なども積極的にディズニーを誘致しようとしていましたからね。実は、国内では過去、奈良県にディズニーランドを誘致しようとして失敗した例もありましたし、「本当に浦安なのか」という心配はずっと拭えませんでしたよ。

白石:実際に開業するまでは「東京ディズニーランドの実現そのもの」が不安視されていた面もあったのですね。

安孫子:そう感じていた人は少なくなかったのではないでしょうか。私自身、それまでの大型遊園地と言えば「としまえん」とか「後楽園」くらいしか知りませんでした。国内にはテーマパークという文化そのものがありませんでしたからね。

当時の日本では、アメリカ本国のディズニーランドの認知度もそんなに高くはなかったんです。もちろんアニメとしてのディズニーは一定の地位を確保していましたが、テーマパークとなると話は別です。私の周囲には、「東京ディズニーランドは成功しない」と言う人がほとんどでした。

白石:こうしたテーマパークの実現も不安視される一方で、開業したとしてもパーク自体の成功も難しいという意見もあったのですね。

安孫子:課題は明確だったんです。当時、日本の既存の遊園地の年間入場者数はせいぜい400万人くらいでした。その中でも入場者の大きなボリュームは「夏のプール」でした。

東京ディズニーランドは初期投資で約1,800億円をかけていて、それを回収するためには最低でも年間1,000万人を集客しなければいけない計算です。当時の日本のレジャー市場において、はたしてそれが可能なのかという懸念が出るのは当然かもしれません。

 

「これがディズニー・マジックだ」。本場で見たカストディアルとパーク運営

白石:日本のテーマパーク市場は当時小さかったのですね。そのような状況の中でオリエンタルランドへ移ったのは、大きな決断だったのではないでしょうか。

安孫子:私も当時はまだ29歳で、まあ楽観的に考えていましたね(笑)。仮に失敗してもやり直しができると思っていました。「自分が楽しめること」を優先して選んだんです。

白石:入社後は東京ディズニーランドの開業に向かってどんな準備を進められたのですか?

安孫子:私は開業の1年半前に入社し、すぐに3カ月間アメリカで研修を受けることになりました。渡米前に配属されたのがカストーディアル部門です。「横文字でかっこよさそうな仕事だぞ」と思っていましたが、仕事の内容を聞くと「お掃除」で、がっかりしたのを覚えています(笑)。その後、アメリカでの研修では徹底的にディズニーの考え方や掃除と運営のノウハウを学びました。

白石:まずは、本場のカストーディアルを叩き込まれたわけですね。

安孫子:はい。現地のパークでは15分に1回は路面の掃き掃除をすると聞いていました。当時の私は喫煙者だったので、試しにタバコを捨ててみたんですよ。するとすぐにスタッフがやって来て掃き掃除をするんです。10分後くらいにまた捨てると、それもまたすぐに掃いてくれる。掃除へのこだわりやレベルが半端ではありませんでしたね。

特に感動したのは夜中の掃除です。深夜0時になるとみんなが出勤してきて、太いホースで水をまき、路面もトイレもキッチンも徹底的に洗浄します。使っている清掃の道具も目にしたことのない最新の機器ばかりです。

また、日本で掃除というと「黙々と作業する人」のイメージがありましたが、向こうのカストーディアル部門のキャストたちはとても陽気で、ゲストにもどんどん話しかけていました。道案内をしたり、写真を撮ってあげたり。そんな様子を見て、「これは自分が知っている掃除の仕事とはまるで違う」と思いましたね。

白石:伺っていると、黙々と掃除をする裏方の仕事、というわけでもなさそうでワクワクしますね。カストーディアル以外の運営現場もご覧になったのですか?

安孫子:もちろんです。「パーク」という概念自体を知らない状態でさまざまな現場を見て、良い意味でショックを受けました。

膨大な数のアトラクションやパレード、ライブエンターテインメントを1日の中で運営している。大掛かりな演出も乱れなく動き、毎日同じクオリティであるだけでなく、お客さまの人数などによって緻密に運営方法を変えている。「どうやってオペレーションしているのだろう?」と不思議に思って質問したのですが、「これがディズニー・マジックだ」と言われるだけでした。

「これは東京に戻って、自分たちでやってみなければ分からないぞ」と思うようになり、開業が待ちきれなくなっていきました。

 

最大の課題は、目に見えるものではなく「心の問題」。本場のサービス・クオリティを日本で実現

白石:そうした本国での研修期間を経て、いよいよ開業ですね。とは言え、文化的素地もない中で本国と同じようなクオリティを実現するのには、苦労もあったのではないでしょうか?

安孫子:それはもう。最初は、なかなかうまくいきませんでした。特にカストーディアル部門はそもそも人が集まらなくて苦労していたんです。イメージが昔ながらの「3K」(きつい、汚い、危険)のイメージがつきまとう仕事ですからね。外部の会社にサポートをお願いしたり、管理系部門の人たちに手伝ってもらったりして、どうにかこうにかグランドオープンを迎えました。

ホスピタリティとかおもてなしとか言っていられる状態ではありませんでした。

また、当時のマニュアルは分かりづらく、日本とアメリカの違いを反映したものでもありませんでした。アメリカでやっていることをそのまま日本でやるのは難しい。マニュアルを日本流に変えていくことも必要でした。

白石:具体的にはどのような点を変えていったのですか?

安孫子:まず、日本とアメリカで大きく違うのは気候です。アメリカには、カリフォルニア州と、フロリダ州にディズニーリゾートがありますが、カリフォルニアは「常春」と言えるような暖かさで雨も少ない。フロリダは熱帯のスコールのような雨は降るけど、それでも暖かい。

しかし日本は違います。四季でさまざまな変化があるし、冬には関東でも雪が降る可能性があります。毎日水洗いをしようとしても、冬場は凍結への対処も必要なんです。そうした現実を踏まえて、寒い季節の掃除の仕方を新たに加えたり、雨の後の掃除の仕方を変えていきました。

掃除道具一つとっても、日本人の体型や体力に合うように作り変えていく必要がありました。また、日本の環境基準や排水の基準も考慮しなければいけないし、メンテナンスの分野になれば「インチとセンチの違い」といった差もあります。

ただ、いちばんの課題はそうした目に見えるものではなく、ともに働くキャストの「心の問題」でした。

白石:「心の問題」

安孫子:はい。人が集まりにくいといった状況に象徴されるように、カストーディアルの仕事に対するマイナスイメージがあることは否定できませんでした。私自身も配属当初はがっかりしてしまったくらいですから(笑)。これをどう変えていくのかが大きな課題だったんです。そのため、私が部門全体の責任者となってからは、ホスピタリティを強化するための大改革をしていきました。

中編に続く

撮影:Masanori Naruse

<コメント>

白石:メディア企業から29歳で楽しいことを優先する形で転業という決断には、とても親近感が湧いたインタビューの出だしでした(笑)転業した先が「掃除」と言われた際の心の切り替えには、楽しいことを優先というよりも、楽しいことにしてしまう前向きなパワーを感じました。新しい世界へのアジャスト力が強い方には、意識レイヤーのすり替えが無意識的に行われているように思います。現在言われているホスピタリティの原点はここにあるのかもしれません。次回は、さらに具体的に仕事内容を掘り下げます!

 

プロフィール

安孫子 薫:元東京ディズニーリゾート運営部長。報知新聞社を経て、1982年に株式会社オリエンタルランドに入社。カストーディアル部門(清掃)に配属、米国ディズニーランドにてパーク運営の考え方を学ぶ。1983年の東京ディズニーランド グランドオープンでは、カストーディアル部門を清掃専門集団からゲストサービス集団へ改革に努め成果を上げる。その後、ゼネラルサービス部長・カストーディアル部長を務め、ディズニーシー開業に向けた準備、2パーク運営体制の確立を行う。2006年に、東京ディズニーリゾート 運営部長として、「ディズニーアカデミー」事業、「インフォメーションセンター」「駐車場運営管理」業務を行う。2007年、株式会社キッズシティジャパンに入社。キッザニア東京副総支配人として、こどもの職業体験施設の運営、営業基盤の整備に努める。2008年、株式会社チャックスファミリー 設立

 

白石小百合:元テレビ東京アナウンサー。Whitte株式会社 代表取締役。法政大学国際文化学部在学中にスペインのバルセロナに留学し、ゼミでアートを学ぶ。2010年4月株式会社テレビ東京にアナウンサーとして入社。経済番組・情報番組・スポーツ番組・ナレーションなど、多岐にわたり担当し、2017年3月31日付でテレビ東京を退職。同年4月よりフリーとなり、かねてからの興味関心を形にした香りブランド『Whitte』(ウィッテ)創業。