【インタビュー】圧倒的な「看取りのニーズ」が確実に来る、在宅医療の現状と今後について。やまと診療所安井佑(前編)

2017.11.10 エキスパート

超高齢社会を迎えた日本。2030年には47万人もの人が “看取り難民”になるという予測があります。そうした将来に対応するためにも、地域包括ケアの仕組みの中で大きな意味をもつのが「在宅医療」です。患者やご家族の生活に向き合う「看取り」。東京・板橋区にある「医療法人社団 焔(ほむら)やまと診療所」は、「自宅で自分らしく死ねる。そういう世の中をつくる。」という理念の下、在宅での看取りを推進しています。

多死社会における地域医療のため、新しい病院経営のモデルの構築を目指して、看取り日本有数の規模の在宅医療の診療所を立ち上げた、安井佑院長。元テレビ東京アナウンサー白石小百合さんがお話を伺いました。初回は、在宅医療の現状についてです。

 

「人生の最期」をどこで迎えるか。在宅医療を支える仕組みは十分ではない

 白石小百合(以下、白石):「人生の最期」をどこで迎えるか・・・思い浮かべるのは病院で亡くなるという状況が多いのかなと。一方で在宅医療を選択し、ご自宅で最期を迎えられるケースもありますよね。今現在はどのような状況ですか?

安井佑氏(以下、安井):「人生の最期」の迎える場所ですが、実際には病院で臨終を迎える事例が80%、自宅で迎えるケースは12~3%という割合です。

白石:自宅で人生の最期を迎えるのはどういったケースが多いのでしょうか。

安井:在宅医療を展開している当院の患者さんの5割は癌です。癌の治療方法として化学療法、手術、放射線等を組み合わせますが、根治するケースは外科・内科双方からのアプローチがすべてうまくいった場合のみです。

手術も化学療法も、患者が年をとるにつれて体力の限界に差し掛かり、治療上の限界を迎えます。しかし限界を迎えたあとも患者の多くは病院にいます。いわゆる緩和ケアを施していくことになるわけですが、在宅か病院かというのは、その時期をどこで過したいかというお話ですね。

白石:治療が限界を迎えた中で、最期をどこですごすかという選択ができるわけですね。

安井:最期は、無機質な白いカーテン、白い壁で囲まれた病院よりも、その方が長年過ごされたお家で、というのが自然な人情ではないでしょうか。当院でもそのような気持ちを支える医療を目指していますが、世の中一般で見ると在宅医療を支える仕組みは十分ではありません。

白石:在宅医療を支える仕組みが十分ではない、といいますと?どういった点でしょうか。

安井:まず、家族の負担、患者の不安、在宅医療を支える医療機関の不足です。それ以前に、そもそも最期を迎える場所の選択肢として在宅医療というものがあると一般に認知されていないという問題があります。

在宅医療を知っていても不安を感じて躊躇する家族や患者の方もいます。そうした不安の中には、何か不慮の事態が起きたときにどうしてよいかわからないという感覚があると思います。

 

日本人は「病院が大好きな民族」。在宅医療に関しての不安

白石:認知が足りないこと、そして知っていてもいざ在宅医療をしようとすると不安を感じるということですね。

安井:こうした不安の背景にあるのは、まずは病院信仰だと考えています。日本は、OECD加盟国の中で人口当たり病床数、1入院あたりの病院滞在数ともトップであり、「病院が大好きな民族」と言えるかもしれません。

他には、医療に対する知識不足もあります。さらに、在宅医療の経験者がいないという点もあります。身近に経験者がいないが故に想像がつかない、故に不安である。結果的に病院での治療を望む、ということになります。

圧倒的な「看取りのニーズ」が確実に来る。在宅医療が必要とされている理由

白石:日本人は、病院が大好きな民族。しかも在宅医療については周りに経験者もいない…となると、皆が病院での治療を望み、なかなか在宅医療を選択しないのも頷けますね。

安井さんがそのような一般的な認知度も広がっていない在宅医療を推進されている理由は何でしょうか。

安井:社会的に在宅医療が必要とされている背景があります。それは日本の人口減少です。現在一年間で亡くなる人は約120万人です。これが20年後には160万人になると言われています。大変な増加ですね。こうした亡くなっていく方々の数が、一体どこで増えるかと言うと、圧倒的に都会、その中でも首都圏で増えていきます。そして、そのうち3分の1は一人暮らしの方です。また、高齢者が高齢者を介護する、認知症の方が認知症の方を看病する中で亡くなっていくという状況も予想されています。

結果として、40万人が看取り難民になる可能性が取りざたされています。圧倒的な「看取りのニーズ」が確実に来る、これはこの国の将来にとって根本的な課題です。

白石:大変深刻な状況なのですね。ちなみに、やまと診療所がある場所は、郊外のベッドタウンそのものという印象ですが、既に国内でも有数の数の看取りをされていると伺っています。診療所を設立されて、現在どの程度の看取りをされているのでしょうか?

安井:現在、在宅で常時看ている患者は約350名です。当院としては、月に20名程度、年間250名ほどの看取りをしております。これらは基本在宅での看取りですが、最期のみ病院で迎えられた方を含めると年間350名ほどの方を看取っていることになります。

 

在宅医療に必要な体制。「赤ひげ先生」依存から、チーム体制へ

白石:これからの社会に必要とされる在宅医療を提供していく中で、診療所としては何が必要でしょうか?

安井:まず在宅医療を提供する診療所は、24時間365日、患者さんが医師を必要とするときにいつでも出動できる体制を整えなければなりません。

しかし、今後在宅医療が増えていく中、これは医師の側としても現実的とは言えない。そのため、グループ診療もしくは在宅医療を行う医院を基礎的インフラとして整えておき、いざというとき追加的に応援を出すというような体制の構築が必要だと考えています。

白石:24時間体制では、診療所側の負担は大きいですね。

安井:在宅医療については、未だに多くの場合いわゆる「赤ひげ先生」に頼っているというのが現状です。私自身、診療所を立ち上げて最初の2年間は24時間365日奔走していました。今は手伝ってくれる先生も多くなってきて助かっています。

在宅医療では、医師が診療し患者を支えるのは当然として、それ以上に家族を支えるのも医師の重要な役割です。なぜなら、在宅医療は患者の家族も経験がなく、とにかく不安ですから。

白石:一人の医師に負担がかからないような体制が必要なのですね。さらには、患者や家族を支えるというのも在宅医療ではより重要になってくる。

安井:患者は癌という大きな病気の中で色々な選択をしなければなりません。患者がどういうベクトルに進みたいのか、何が患者にとって幸せになるのか、患者の全人生をみながらどのようなゴールに向かうべきかを患者さん、家族、医師、ヘルパーさん、看護職員などを交えたチームの中で意思決定の支援をしなければなりません。

 

在宅医療のチーム体制、新しいPAというポジションの設置

白石:チームで行う在宅医療の体制ですが、どういったメンバーが必要ですか、医師が中心となっているのでしょうか。

安井:チームの中で医師がリーダーとなり周りを引っ張っていければ理想ですが、実際のところなかなかそのような医師の養成は難しい。そのために在宅医療PA (Physician Assistant) を養成しようとしています。医療未経験の状態から教育を始め、3年がかりで一人前に養成するのが目標です。

白石:医療未経験から3年で養成。医師だけに任せるのではなく、PAというポジションを創ったというのは非常に画期的な取り組みですね。

安井:日本では病院信仰に加えて医師信仰というのがあり、お医者様はえらい、お医者様は何でもできるという思い込みがあります。そうした過大な期待が医師の効率的稼働の阻害要因となっています。そこにPAを設置することで、最大限に医師を技術者として稼働させチームとしての最大効果を生み出すというのが目指すあり方ですね。

日本の医療現場における「医師」という専門職に対する過度の依存と、そこから発生する非効率性から脱却することが私のミッションだと考えています。

 

<コメント>

白石:このインタビューを担当するにあたって「自分は人生の最期をどのように迎えたいか?」という問いを考え続け、答えが見えないまま臨みました。私が初めに思い浮かべたのは病院のベッドでしたが、日本人は病院が大好きな民族と聞いて、自分の思い込みにドキッとしました。実際に数字で確認すると必要性は明らかであり、安井さんが考え抜かれていることが伝わります。次回は、看取りを専門にする新しい病院経営のモデルについて詳しく伺います!

撮影:Masanori Naruse

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プロフィール

安井 佑:東京大学を卒業後、国保旭中央病院で初期研修を行う。その軍事政権下のミャンマーに渡り、国際医療支援、緊急災害支援に2年間従事する。帰国後は形成外科医として杏林大学病院、東京西徳洲会病院に勤務。2013年に東京都板橋区にて在宅医療専門のやまと診療所を開設。「自宅で自分らしく死ねる。そういう世の中をつくる」を理念に、地域連携を推進し、都内で有数の在宅看取りを行うクリニックに育てあげる。ミーミルのヘルスケア・クオリティエキスパート「終末期の在宅医療 第一人者」

白石小百合:元テレビ東京アナウンサー。Whitte株式会社 代表取締役。法政大学国際文化学部在学中にスペインのバルセロナに留学し、ゼミでアートを学ぶ。2010年4月株式会社テレビ東京にアナウンサーとして入社。経済番組・情報番組・スポーツ番組・ナレーションなど、多岐にわたり担当し、2017年3月31日付でテレビ東京を退職。同年4月よりフリーとなり、かねてからの興味関心を形にした香りブランド『Whitte』(ウィッテ)創業。