【インタビュー】カルロス・ゴーンとともに日産の復活劇を支えた男が語る、自動車のデザインに必要な「直感とロジック」―元日産自動車チーフ・クリエイティブ・オフィサー 中村史郎(前編)

2018.06.04 エキスパート

GT-Rや350Zといった名車たち、類を見ないエクステリアが話題となったジューク、そして日本のEV(電気自動車)の先駆けとなったリーフ。日産の歴史を彩る数々の人気車種をデザイン・トップとして送り出してきたのが、同社でチーフ・デザイナーや専務執行役員、チーフ・クリエイティブ・オフィサー(CCO)を歴任した中村史郎さん。あのカルロス・ゴーン氏にヘッドハンティングされ、日産の経営再建に尽力しました。

2017年の退職後は株式会社SHIRO NAKAMURA DESIGN ASSOCIATESを設立し、プロダクトデザインの新たな可能性を追求し続けている中村氏。日産時代のキャリアやデザインに対する哲学について、元テレビ東京アナウンサーの白石小百合さんがお話をうかがいました。前編ではカルロス・ゴーン氏との出会いや、経営再建に向けた取り組みの実像について語っていただきます。

 

日産の変革の象徴としてデザイン・トップに。「難しいのか不可能か、どちらだ?」と迫るゴーン氏

白石 小百合さん(以下、白石):中村さんは日産の経営が苦境に陥っていた1999年、カルロス・ゴーン氏にヘッドハンティングされる形で入社されたとお聞きしました。まずは当時の経緯について教えていただけますか?

中村 史郎さん(以下、中村):私が初めてゴーンさんに会ったのは、同年の8月でした。彼は日産の新たなデザイン・トップを探していて、いすゞでデザイン責任者を務めていた私にヘッドハンティング会社からの白羽の矢が立ったようです。

ゴーンさんとの面談を終えて、「あなたに決めるかどうかはすぐに返答する」「Yesの場合は、10月にあなたの名前を発表するが構わないか?」と言われました。つまりその2か月後の発表ということになります、「10月までに会社を辞めるというのは難しいですね」と答えたのです。すると彼は「難しいのか不可能か、どちらだ?」と。そこまで踏み込まれてしまうと、「大変難しいが、不可能ではない」と答えるしかありませんでした(笑)。

白石:すごいスピード感ですね。

中村:そうですね。さすがに「ちょっと待ってくれよ」と思いました。海外のように「明日辞めます」というわけにはいきませんからね。いすゞのデザインのトップになって1年でしたし、長年在籍した恩義もあるので、「どうやって2カ月で円満に辞めるか」「誰を後任にするのか」などを考えなければいけない。当時の上司にはさすがに会社じゃ話せないので、アポなしで日曜日に家を訪ねて伝えたことを覚えています。

白石:それだけ当時のゴーン氏がデザインの立て直しを重視していたということでしょうか。

中村:ヘッドハンティングのプロセスも直接ゴーンさんが対応していたようです。それだけ彼は新しいデザイナーを連れてくることに意義を見出していて、それを世の中に発表することを日産改革のシンボルにしたかったのだと思います。具体的には何も告げられませんでしたが、彼が日産のデザインをどうしたいと思っているのか、何を期待しているのかは想像がつきました。

白石:ヘッドハンティングした理由はゴーン氏から聞いたのですか?

中村:なぜ私を選んだかについては言いませんでした。ゴーンさんとはいろいろな話をしましたが、私は「いろんな違った文化の人たちと一緒に仕事をすることで価値が生まれる」と考えていて、「日産をグローバル規模でダイバーシティに富んだ会社にしたい」と考えていた彼の方向性に当てはまったのかもしれません。

白石:中村さんご自身は、なぜ日産への入社を決めたのでしょう?

中村:新しいことにチャレンジする機会だと感じたからです。会社がある限りデザイナーには仕事が回ってきますが、「会社そのものをリシャッフルする」ことに携わる機会はめったにありません。実はそれまでの留学や海外駐在の経験をとおして日本のクルマのデザインのあり方の限界を感じていて、どうしたら改革できるかと常に考えていました。そこにヘッドハンティングの話がきました。日産は一度つぶれかかった会社だからこそ、大胆に作り直す可能性がある。日産を変えて日本のデザインを変える、千載一遇のチャンスだと思った。それが動機ですね。

ショールームの建て替え、CMへの出演。社内でのデザインへの意識を変革

白石:中村さんはデザイン・トップとしてさまざまな人気車を送り出すだけでなく、銀座の日産ショールームを建て替えたり、各国にデザインセンターを作ったりと、幅広い実績を残されていますね。

中村:それまでの日産は、本社やデザインセンターなどの設備にほとんどお金を使える状況じゃなかったんです。しかしゴーンさんはそういったことを重要視する人で、「必ず利益が出るようになるから、今のうちにデザインセンターを作ることを計画してほしい」と就任当初から言っていました。つまりデザインでブランド立て直すという考え方があって、ショールームのデザインの見直しなども始まったわけです。銀座にあるショールームは、それまでは待ち合わせや雨宿りに使われる場所と化してしまっていましたが、「日産ブランドの顔」という本来の存在意義を取り戻せるように、リバイバルプランが始まってすぐに建て替えました。

白石:中村さんといえば「日産のCMに出演していたデザイナー」として記憶している人も多いのではないかと思います。

中村:これも、ゴーンさんに「出ろ」と言われてやったことなんです。デザイナーがCMに出るなんて考えもしていなくて、正直なところ「デザインだけでなく、宣伝まで責任を負うなんて無理だよ」と思っていました(笑)。ただ、結果的にはそういったことにもチャレンジしたことで、マーケティング面でも私の発言権が増したのは事実ですね。「デザインの人がそこまでやるんだ」という認識が社内にも広まりました。

白石:これは私も驚いたのですが、ゴーン氏が着るスーツやネクタイも選んでいたとか。

中村:はい。車以外のデザインを行うことに特化した部署を作って、モーターショウブースなどのデザインを徹底してやることにしました。ゴーンさんがプレス発表で着用するスーツは、ブースと同じく「日産の看板」です、だから細かいことにも妥協しませんでした。

ブランドロゴやディーラーショウルームのデザインはもちろんですが、日産の工場の建物や作業服も、日産のブランドカラーであるグレーに赤いストライプを入れた新しいデザインにしました。さらには工場内の食堂などもすべてデザインし直して。工場のスタッフにも喜んでもらえたんじゃないかと思います。社外だけでなく社内も、人の目に触れるものは全てブランドメッセージ、という考えかたです。

ゴーン氏との経験で培われたもの。ビジネスとデザインに必要な「直感」と「ロジック」

白石:せっかくの機会なので、もう少しゴーン氏とのエピソードをうかがえればと思います。一般的なイメージではゴーン氏のことを「かっちりとした厳格な経営者」だと見ている向きが多いように思いますが、デザインやアートもビジネスにおいて重要な要素だと考えていたのでしょうか。

中村:日産は日本の現代アーティストを対象とした「日産アートアワード」を2013年からやっています。こうしたことにゴーンさんは興味がなさそうに見えるかもしれませんが、実はこの開催について発案したのは彼自身です。

ビジネスにも直感力が大事で、アートは直感力と結びつくものだから、経営者としての幅を広げるためにも有効であることに気づいていたのだと思います。

白石:車だけにとどまらない、さまざまな領域での中村さんのミッションも、そうした発想の上で任されていたのですね。

中村:具体的にそれぞれのミッションを示されていたわけではありませんが、私に何を期待しているのかは彼の言動を見ていると自然と分かります。「経営者が部門の責任者に何を期待しているか」を察知して提案をすることは、大切な能力の一つだと思います。

白石:ゴーン氏も、相手の考えを察知する力は強いと思いますか?

中村:とても強い人でしたね。私は役員会議でデザインの提案をする際に、相手がその本質を理解しているかは、返ってくる質問が的を射ているかどうかで判断します。

立場上の質問をしているだけなのかは、質問の中身でよく分かりますが、ゴーンさんはいつも本質を突いていました。日頃の個別のミーティングの時間もとても短いのですが、その中であっという間に、必要な情報を吸収していると感じました。

白石:直感力に優れているということでしょうか?

中村:ロジックと直感、両方を大切にしていたと思います。例えば、彼は10年以上前から「やがては電気自動車の時代になる」と言っていました。電気自動車の「リーフ」のプロジェクトはこうして動き出し、直近の利益を度外視したところで、特別なビジョンを持って続けてきたわけです。こうした戦略は直感的に物事を判断しているところがないと無理です。「ビジネスは左脳、デザインは右脳」と明確に分けるのではなく、左脳と右脳をうまく交互に使うことが必要なのではないでしょうか。直感力を大切にしながら判断し、ロジカルにその判断理由を確認する。これは私自身がずっとデザインで実践してきたことでもあります。

白石:近しい感覚を持ったゴーン氏とともに仕事をしてきたことは、中村さんの中でどのような意味を持っていますか?

中村:彼とは1999年から2017年まで、17年間も一緒に仕事ができたことはとても幸運でしたね。同じタイミングでスタートして、そして第一線から退くことなんて考えてもいませんでしたが、想像を超えた経験をたくさんさせてもらいました。

経営とデザインとの理想的な関係を作るには、経営トップとデザイン・トップが、ビジョンと感覚をどれだけ共有できているかがポイントだと思いますが、後に続く多くの人にもそうあってほしいですね。

白石:最後のタイミングまで一緒という、まさに日産の改革を共に成し遂げてきたといっても過言ではないですね。非常につよい結びつきをお二人には感じます。

中村:私は日産から離れましたが、もしかしたら将来的にゴーンさんとビジネスを離れて何かを一緒にする機会があるかもしれません。

 

コメント

白石:中村さんとは日産アートアワードでゴーンさんへのインタビューの際にお世話になったご縁があります。日産の目覚ましい成長をゴーンさんと共に支え、デザイナーの地位を向上させたと言われる中村さん。ヘッドハンディングから日産で行なった改革まで、リアルな話が伺えたことにスタッフ一同で興奮しておりました(笑)実はこのインタビューは、私がほとんど質問をしなくても「聞きたいこと」を察して話して下さったので、「まさにこれが察知する力」と信頼感を持って話を聞かせていただきました。次回はさらに、中村さんの仕事の進め方と仕事観について、伺います!

後編に続く

記事作成:多田慎介

撮影:Masanori Naruse

プロフィール:

中村史郎:元日産自動車専務、チーフ・クリエイティブ・オフィサー。1974年武蔵野美術大学工業デザイン専攻卒業後、いすゞ自動車(株)入社。1981年米国アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン、トランスポーテーションデザイン専攻卒業。その後、GMデザイン勤務後、欧州デザインマネージャー、米国副社長、デザインセンター部長を歴任。1999年に経営危機にあった日産自動車に就任したカルロス・ゴーン社長(当時COO)にヘッドハントされる。当時めずらしい同業他社からの移籍で話題となる。2000年デザイン本部長に就任。それ以来ゴーン社長の右腕として日産リバイバルプランの中心的存在として活躍し、日産の復活の原動力となった。2001年より常務執行役員、2006年にブランドマネージメント担当を兼任しチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任。全世界で800名近くのスタッフを抱える「日産デザイン」の総責任者。2010年には国際的デザイナー賞である米国 “Eyes On Design Lifetime Achievement Award”や、その年のクリエイティブな業績を上げたひとに贈られる米国 FASTCOMPANY誌 “100 Most Creative Person Best 4”を受賞するなど、海外で最も名の知れた日本人自動車デザイナーのひとり。

白石小百合:元テレビ東京アナウンサー。Whitte株式会社 代表取締役。法政大学国際文化学部在学中にスペインのバルセロナに留学し、ゼミでアートを学ぶ。2010年4月株式会社テレビ東京にアナウンサーとして入社。経済番組・情報番組・スポーツ番組・ナレーションなど、多岐にわたり担当し、2017年3月31日付でテレビ東京を退職。同年4月よりフリーとなり、かねてからの興味関心を形にした香りブランド『Whitte』(ウィッテ)創業。