【対談】EC黎明期からベンチャーで経験を積み、トイザらス、ジュピターショップチャンネルを経て三越伊勢丹のEC事業へ 中島 郁×川添 隆(第1回)

2018.11.08 エキスパート

経済産業省の調査によると、2017年の日本国内におけるBtoCのEC市場規模は16.5兆円。前年の15.1兆円から9.1%増と、年々拡大しています。小売業界は、近年の競争の激化、内需縮小、人手不足などさまざまな経営課題を抱えるなか、デジタル化への投資も急務となっている厳しい状況です。この大きな変革期を生き残るために求められるものは何でしょうか。

黎明期からEC業界に携わり、トイザらス、ジュピターショップチャンネル、三越伊勢丹において、大規模EC、オムニチャネルの事業責任者を務めてきた中島郁氏。そして、アパレルブランドなど様々な企業のEC事業の責任者や企業再生を経験し、現在はメガネスーパーをはじめとする7社を束ねる五感創造企業ビジョナリーホールディングスの執行役員 兼 デジタルエクスペリエンス事業本部本部長を務める “ECエバンジェリスト”川添 隆氏。小売・流通業界におけるデジタルシフト最前線に携わる二人の対談をお送りします。

第1回は、国内でも数少ないEC立ち上げのプロフェッショナル中島氏のキャリアについて伺いました。

 

ECの黎明期にあらゆることを経験。EC立ち上げプロフェッショナルの原点

川添 隆(以下、川添):中島さんは外資も日本の企業も、中規模も大規模も、幅広く経験されています。

中島郁(以下、中島):実は新卒で入った会社はベンチャー企業でした。1年目で本業とは全く違う新事業の雑貨の輸入業務をいきなり「やって」と命じられ。ポケット英会話帳を持って、やはり英語のできない副社長と一緒にフランクフルトに仕入れに行きました。「外部の商社やコンサルは一切使わず、3ヶ月で」というので、ベンダーさん、乙仲(海貨業者)さん、さまざまな人に話を聞きながら仕入れの仕方や貿易業務を覚えました。仕入れた商品は、いくつかある直営店で販売したり、専門店、百貨店に卸していました。営業も兼ねていましたが、輸入業務などで社内にいる時間が長く、他の営業担当から「販売先のリスト、見込みを作って」「販売計画をまとめて」と言われ頑張って調べ作っていたら、それがマーケティングの勉強になっていたと後でわかりました。

 

中島:2年くらいが経ち、今まで仕入れていた商品を今度はアジアで作ることに。やはりそれも「3ヶ月で立ち上げろ」という。現地に建物を借りて、間に合わせるために資材や機材などを日本から全部ハンドキャリーで持って行きました。今度は、それが国内だけではさばけないということで、「輸出する」ことに。それまで買い付けに行っていたフランクフルト、パリ、ロサンゼルスの見本市に出展し、実質的に国際部門の責任者に。その他にも、ショールームやサービス事業、通販、海外拠点開設など、最初の会社でいくつもの立上げを通し、いろいろなことひととおり経験しました。新卒にいきなり任せるなど少々荒っぽいやり方でしたが、それがベースにありますね。

川添:ベンチャーまで経験されていたんですね!まさに、そういった経験もベンチャーならでは。その後はいかがでしたか?

中島:その後、30〜32歳は米国マサチューセッツ州バブソン大学大学院に留学して、起業、マーケティングなどを体系的に勉強し直しました。帰国後は、自分で会社を始めようと思ったのですが、まずITの知識を付けるため、ITベンチャーに新規プロダクトの立上げのためのマネージャーとして入社。たまたまインターネットショッピングシステムも売ろうということになり、そこで初めてECに触れました。

川添:まだまだECの黎明期ですね。

中島:まだ「Windows95」が発売される直前、Windows3.1で接続ソフトやメールソフト、ブラウザソフトをインストールして自分でIP設定をしないとならない時代のことです。

その後、いくつかの企業などで、立上げ、EC、事業責任者、経営企画、社長補佐などを経て、日本トイザらスがマーケティング部門を作る際に入社しました。

 

トイザらスでEC事業を立ち上げ、ナンバーワンおもちゃサイトに

川添:外資の大企業、ベンチャーとはずいぶん違ったでしょうね。

中島:当時、トイザらスは1店舗あたりかなりの売上がありました。しかし、店舗が増えてきて、既存店の近くに2店目をつくっても商圏が被って売上が2倍にならなくなっていました。

それでも当時の主要な集客方法であったチラシなどを配布する量を減らすことができなかったので、徐々にコスト構造が悪くなっていたんですね。効率的にチラシを配布したり、他の媒体で集客する方法はないかとマーケティングの役割が必要だということになったんです。

キャリアの中での僕のテーマは、「新しいテクノロジーと古いビジネスの融合」なのですが、データベースマーケティングなどの知見がトイザらスで生かせると考えました。

それまでベンチャー企業でスピード感ある仕事をしていたのも活きました。新しいサーベイや、チラシの撒き方を分析して変えるという、何年もそのままになっていた案件を、「まわりの空気を読まず」半年くらいで終わらせたんです。

川添:半年! 小売業界の企業が既存のやり方、特に主要のマーケティング手段を変更するのは強い決意が必要ですが、それにしてもすごいスピード感ですね。

中島:それで、当時の社長から「ECの経験もあるから」と、塩漬けになっていたECのビジネスプランを作るよう言われ、米国本社のCEOにプレゼンしたら「ゴー」ということに。ただし別会社でということで、新会社をアメリカ人幹部、派遣社員、僕の3人で2000年に立ち上げたんです。

当時は「Amazon.co.jp」がスタートした年で、目立ったECサイトは、無印良品、ユニクロ、TSUTAYAくらいでしょうか。アメリカ人幹部がMDを担当し、僕がロジスティクス、CS、制作、マーケティング、テクノロジー、店舗側との交渉担当など全部担当し……すべてをゼロから始め、少しずつ入ってくる担当者にふっていきつつECサイトを11月に立ち上げました。米国がマジョリティの別会社なので売上は店舗と別になるため、調整は大変でした。ベンチャーでECをしていたときはまったく儲かりませんでしたが、トイザらスというブランドがあればうまくいくのではという期待で、店頭ポスターを貼ってもらったりチラシに商品番号とURLを入れてもらったりとお店に協力してもらって、2002年には、国内のおもちゃ販売サイトではナンバーワンに。

その後、テレビショッピングの「ジュピターショップチャンネル」に入社し、24時間生放送のテレビとの連動型ECサイトを立ち上げました。

 

ショップチャネルでは、ECを立ち上げ1年で黒字化を実現

川添:店舗メインの小売り企業から、次は店舗を持たないテレビメインの通販企業。ショップチャンネルでは、どういった点が大変でしたか。

中島:ショップチャンネルは既存事業が伸び盛りで、社員はそれに注力していて、非常に多忙な時期。なぜECを進めるのかの理解を得ることがたいへんでしたね。「テレビショッピングで伸びているのだからECの必要はないんじゃないか」と思っていた社員が多かったと思います。

川添:なるほど。メインの事業が伸び続けていると、ECのような新たなチャネルを進めることが社内でもコンセンサスが取りにくい。ECを推進する上ではよくある課題ですね。

中島:テレビの生放送と完全連動するというコンセプトがよかったため、ECは1年で黒字化でき評価が変わり、3年目くらいからは結構な発言力を持つことができいろいろなことがだいぶ進めやすくなりました。そして、執行役員となり、マーケティング、番組編成も所管し、全社のシステムにもかなりかかわるようになりました。ECを立ち上げて7年目の2010年に、全社が年商1000億円のとき約20%がECとなっていたので、評価されていたと思います。

 

デジタルマーケティングソリューションでは当時米国最大手のGSIコマースを経て、伊勢丹のプロジェクトに参画

川添:テレビがメインチャネルのなかで、ECの推進に成功されたご経験のバリューは、今でもニーズがありそうですね!ショップチャネルで成功を収めた後はいかがですか?

中島:ショップチャンネルは非常に居心地がよかったのですが、ECプラットフォーム、物流、CS、デジタルマーケティングソリューションで当時米国最大手であるGSIコマースから、日本だけでなく、アジア太平洋全部を任せるので、単に営業拠点ではなく開発、物流、コールセンターまでを作ってくれというオファーをいただき引き受けました。

GSIは、顧客のECサイトの売上に乗じて手数料を得るというビジネスモデルで、これまで国内でEC事業の売上を作ってきた僕の経験と、事業をゼロから立ち上げてきたということを高く評価していただきました。ところが、入社後、eBayに買収されてしまって、それに伴い、役割も変わり、さらに、2年でAPAC拠点を撤退することに。

その後、まずは自分でコンサルを始めしばらく経ったときに、たまたま、三越伊勢丹のプラットフォームビジネスのコンサルティングをすることに。そのまま入社するつもりは全くなかったのですが、あれだけのブランドの会社が事業を任せてくれ、また、そのために僕を採用する仕組みまで作ってくれるということで、お世話になることにしました。外部から役員で事業部長を招聘したのは、僕がおそらく戦後初めてだと思います。

川添:歴史ある名門の中で、かなり珍しいことだったのですね。

中島:外部から役員を起用するというのは、通常あり得ないでしょうね。また、ベンチャー、外資の経歴から老舗に入社というのも普通あり得ない。他の方の逆の流れです。三越伊勢丹で、まずは3年と思い、EC・デジタルメディアビジネスの立て直しをし、さらに1年いて新規のオウンドメディアと越境EC、ラグジュアリーECを立ち上げたところで退任。こんな究極の横入りの僕に意地悪する人も全くおらず、とてもいい会社でしたが、大きな組織だったので、何事にもとにかく時間がかかるという印象でした。

「決めた方針を貫く」「すべて任せる」というトップの本気が重要

中島:振り返ると、小売りに関わったのはたまたまでしたが、事業立ち上げ、EC、オムニチャネル、さまざまな経験を強みにして、現在コンサルティングを行なっています。

川添:私自身もベンチャー企業での経験がありますが、着想から実施まですべてを自分自身でスピード感をもってやるという経験は今でもいきています。中島さんの場合は業界の黎明期に、ベンチャー企業ですべてを自分で手がけたという経験が大きいですね。

中島:荒っぽいけれどもとにかく3ヶ月間で、外部のリソースを使わずに立ち上げていましたから。僕の勉強方法は、ベンダーの選定のために各業務関連の10社くらいずつから話を聞くようにしています。3社目までは聞いてもよくわからない。4社目くらいからだいたいわかって、5社目からは詳しくなる。最終的には下手をすると情報だけはベンダーさんよりも詳しくなります。そうやって知識を身に着け、実際に始まるとパートナーさんと一緒に自分の手を動かして身につけていく。それこそ最初のころは、写真加工までやったりしていました。

川添:そういったご自身の経験を通して見ると、やはり大企業は組織変革やデジタルシフトが難しいということでしょうか。

中島:ちょっとした改正であれば難しくないけれど、変革はトップが本気じゃないとできません。最後の最後に「決めた方針を貫く」「すべて任せる」と言ってもらわないとならない。その点は追ってお話したいと思います。

 

第2回へ続く

 

総括(川添)

川添:小売業がデジタルシフトという大きな変革に対応していくには、社内の推進者のリーダーシップが不可欠になります。よく「どんな人がそれに適切か?」という話になると一般的にはIT系のキャリアを持った人と勘違いされがちです。実際のところは、本業のビジネスの理解力・対応力、社内外との調整力、意志をもった実行力などをもった人が必要です。

中島さんのキャリアは、ベンチャーの輸入業から始まり、途中でECに出会い、マーケティングに携わり、また、経営側にも従事されてきました。最初のベンチャーで「何でもやる」マインドとスキルを身につけられていらっしゃるようですが、それがその後も行動指針になっているんではないでしょうか。その後のそれぞれの企業で事業を理解し、足りないところや改善が必要な所に自らつっこんでいかれている。ある種、これまでやってきた経験にとらわれず「目の前の課題をいかに解決するか?」に集中されてきたんだと思います。

大先輩ではありますが、デジタルシフトに導く人材における共通点を感じることができました。

記事作成:安楽由紀子

撮影:Masanori Naruse

プロフィール

中島 ベンチャーなど数社で新規事業、経営企画を経験後、トイザらスでマーケティング部門を立上げ、2000年、トイザらス・ドット・コム ジャパンをEC専業法人として設立。2002年ジュピターショップチャンネル執行役員EC・番組編成・マーケティング本部長。2010年、世界最大のECサービス企業GSI Commerce(eBay Enterprise)アジア太平洋代表兼日本法人社長。2013年から2017年まで、三越伊勢丹ホールディングス 役員兼WEB事業部長として、EC、情報メディア等の構築、オムニチャネル推進を担当。現在は2012年に設立のネクトラスで経営コンサルティングを行う。

 

川添 販売、営業アシスタントとしてサンエー・インターナショナルに従事後、ネットビジネスを志し当時サイバーエージェントグループだったクラウンジュエル(現ZOZOUSED)へ。ささげ業務(ECサイトで販売する商品の情報制作業務)から企画、PR、営業まで携わり2010年にクレッジ(現オルケス)に転じ、EC事業の責任者として自社サイトの売上を2倍以上、EC全体を2年で2倍に拡大。LINEを活用した事例でも成功を収める。2013年、メガネスーパー入社、デジタル・コマースグループ ジェネラルマャー就任。2017年からビジョナリーホールディングス デジタルエクスペリエンス事業本部 本部長を兼務。2018年5月、執行役員に就任。