【医療ツーリズム】観光政策転換により芽生えた日本の医療ツーリズム推進 その現状と課題は 中央大学大学教授 真野俊樹

2020.07.30 エキスパート

自国では受けられない医療サービスを海外の医療機関で受ける医療ツーリズム(医療観光旅行)が約50カ国で実施されています。医療ツーリズムは渡航国で高額な医療費を支払って中長期間滞在する他、その見舞客が訪問するケースも多く、宿泊施設を始めとする医療サービス関連産業への経済波及効果が大きく、医療ツーリズム受入れ国は外貨獲得や雇用拡大の手段にもなっています。このため、シンガポールのように国策として医療ツーリズム誘致を推進している国もあります。この医療ツーリズムは近年、日本でも今後の成長産業の1つとして注目されています。

そこで今回は、医療ツーリズムと医療経営に詳しい中央大学大学院戦略経営研究科の真野俊樹教授に、
日本の医療ツーリズムの現状と医療ツーリズム推進の課題をお伺いしました。

 

ヨチヨチ歩きを始めた日本の医療ツーリズム

 

―― 医療ツーリズムに対する日本の取組みの経緯を簡単にご説明ください。

真野 日本は海外から「医療鎖国」と陰口を叩かれるほど長い間、医療ツーリズムの受入れを公には認めてきませんでした。
この流れが変わったきっかけが、インバウンド(訪日外国人旅行)政策の転換でした。
2007年1月に「観光立国推進基本法」が施行され、同年6月に「観光立国推進基本計画」が閣議決定されました。
この観光立国推進の行政庁として2008年10月に「観光庁」(国土交通省の外局)が設置され、日本のインバウンド政策推進が本格化しました。
この流れの中で、2009年頃から日本の医療ツーリズムに対する取組みが本格化しました。この年に厚生労働省の「医療ツーリズムプロジェクトチーム」、経済産業省の「サービス・ツーリズム研究会」、観光庁の「インバウンド医療観光に関する研究会」が相次いで立ち上がりました。
また、2011年1月に「医療滞在ビザ」が解禁され、最長1年滞在・最長3年の数次ビザ可能の措置が取られました。海外の医療ツーリズムと比べると微々たるもので、日本の医療ツーリズムはようやくヨチヨチ歩きを始めた段階と言えるでしょう。

 

医療ツーリズム推進の取り組み姿勢が分裂している行政

 

―― では、日本の医療ツーリズム推進の現状はどうなっているのでしょうか。

真野 医療ツーリズムを推進するためには、まずその受入れ医療機関を整備し、医療ツーリズム誘致をしなければ始まらない訳ですが、実はこれが日本の場合、大変ややこしい状況になっているのです。
現状を簡単に、かつ端的に申し上げますと、経済産業省は医療ツーリズム積極的推進、厚生労働省は消極的推進、観光庁は中立的と、医療ツーリズムに関わる行政省庁の取組みが三つ巴みたいな状況で、一体化していないのです。ですから、旅行代理店など海外の医療ツーリズム仲介者にとっては非常に分かりにくい受入れ態勢なのです。

 

―― 医療ツーリズムに対して経済産業省と厚生労働省は何が違うのですか。

 

真野 経済産業省の場合、同省は医療ツーリズムを「医療インバウンド(医療渡航)」と位置付けています。そして「医療インバウンドとは、日本の医療機関による外国人患者の受入れの中でも、日本の医療機関での受診を目的に渡航する外国人患者を受け入れることをいう」と定義づけています。
つまり、インバウンド中に病気や怪我で受診する外国人並びに在留外国人と明確に区別しているのです。
また医療ツーリズム推進の理由として、

  • 海外からの渡航者の中には、日本の高度な医療サービスを求めている渡航者がいる。この渡航者に日本の高度な医療サービスを提供することは国際貢献に資する
  • 地域医療における医療提供確保を前提に海外の医療渡航者を受け入れることは、地域医療機関にとっても医療資源の稼働率を向上させ、より高度な医療サービス・機器を導入する契機になる
  • その結果、我が国の患者に将来にわたり高度な医療サービスを提供することに資する

などを挙げているのです。

要は、医療ツーリズムは地域医療サービス向上の原動力になるとの考え方ですね。そこで同省は、医療ツーリズム受入れ医療機関の整備としてMEJ(メディカル・エクセレンス・ジャパン)の認証事業を支援しています。

 

―― MEJとはどんな団体なのですか。

真野 ありていに言えば、経済産業省が目指している医療ツーリズム推進機関として2011年に設立された一般社団法人です。現在は「JIH(ジャパン・インターナショナル・ホスピタル)」と名付けた医療ツーリズム受入れ医療機関の認証事業と、JIH認証を受けた医療機関のリスト情報の海外発信活動の2つを中心に行っています。

 

インバウンド外国人の受診受入れ医療機関は増加傾向

 

―― 医療行政主管庁の厚生労働省の場合は?

真野 同省の場合は、2017年6月に閣議決定された「未来投資戦略2017」に盛り込まれた「外国人患者受入れに関する環境整備」を医療行政の主管庁として粛々として推進すると言うスタンスですね。
「在留外国人約247万人と訪日外国人旅行者年間約2870万人が病気や怪我をした時、安心して受診できる『外国人患者受入れ態勢が整備された医療機関』を2017年度中に全国100カ所で整備し、以降は外国人患者受入れ態勢の裾野拡大を図る」のが同省の方針です。

ですから経済産業省のように、医療ツーリズムとインバウンド外国人・在留外国人向け医療サービスの区別はしていないのです。要は「インバウンドの外国人が日本旅行中に病気や怪我をした時に、安心して受診できるよう医療通訳がいる医療機関を整備しますが、海外の医療ツーリズムのような特別扱いはしませんよ」と言うことなのです。同省が医療ツーリズムに消極的と見られている所以です。

 

―― 同省はその受入れ医療機関をどんな形で整備しているのですか。

真野 これは医療・介護・保育関連の技能検定試験事業を行っている日本医療教育財団が2012年から事業開始をした「JMIP(外国人患者受入れ医療機関認証制度)」を支援する形で行っています。 これらの受入れ医療機関の中にはJIH認証とJMIP認証の両方を取得している医療機関もあります。

 

―― なぜ医療ツーリズム受入れ機関がそれほど増えないのでしょうか。

真野 やはり行政側が医療ツーリズム積極的推進派と消極的推進派に分かれ、両者が呉越同舟の形で外国人患者受入れ医療サービスの取組みをしているのが大きいと思います。
医療機関側にすれば医療ツーリズムの先行きが不透明なので、「それがはっきりするまで様子を見よう」との態度だと思います。
ただし、その一方でインバウンド外国人の受診受入れを行っている医療機関の数はもっとあります。観光庁の「訪日外国人旅行者の医療に関する実態調査」によると、2018年末現在、全都道府県1608機関に達しています。この中に先の認証医療機関がどれだけ含まれているのか、同調査では不明です。いずれにしても医療機関の社会的役割として、インバウンド外国人に医療サービスを提供する医療機関が増加傾向にあるのは間違いがないと思います。

 

医療ツーリズム推進にはパブリックアクセプタンス形成が重要

 

―― 日本の医療ツーリズム推進阻害要因は何でしょうか。

真野 それこそあり過ぎだと私は思っていますが、肝心なことは2つです。
まずは、何と言っても医療ツーリズム推進に対する行政側の足並みの乱れですね。行政の司令塔である内閣府に日本の医療サービス産業育成の観点から、ぜひとも足並みの乱れを調整していただき、「外国人の健康保険悪用」等の誤解を防ぐ啓発活動を含め、行政が医療ツーリズム推進に本気で取り組む姿勢を見せていただきたいところです。

次は、パブリックアクセプタンス(社会的受容性)形成の不十分さです。

日本で医療サービスは社会保障の重要な柱の1つと位置付けられており、国民皆保険制度が定着している唯一の国です。国民皆保険制度の精神は「国民に普く等しい高度な医療サービス提供」にあり、医療サービス=公共サービスなのです。

したがって医療サービスは産業ではなく、国民の税金で賄う社会保障制度との認識が社会に定着しています。このような土壌に営利事業である医療ツーリズムを植えても拒否反応を起こさないパブリックアクセプタンスはまだ形成されていないと思います。

実際、川崎市で医療ツーリズム専門病院の建設計画が立てられましたが、市議会や医師会の強い反対でその計画が立ち消えた事実もあります。公共サービスとしての医療サービスと営利事業としての医療ツーリズムは本来別々に制度設計されるものなので、決して医療サービス低下要因にはなりません。むしろ医療ツーリズムで蓄積した先端的高度医療サービスを健康保険制度の医療サービス向上に還元できる補完関係もある訳で、海外と異なり日本の場合は国民皆保険制度と医療ツーリズムは両立すると私は確信しています。

その意味でも、医療ツーリズムに対するパブリックアクセプタンス形成を抜きにして、その推進はあり得ないと思います。

 

記事作成ː福井 晋

<参照資料>

  • 観光立国推進基本法/観光庁

 http://www.mlit.go.jp/kankocho/kankorikkoku/index.html

  • 外国人患者の医療渡航促進に向けた現状の取組と課題について/経済産業省

https://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/shoujo/iryou_coordinate/pdf/001_04_00.pdf

  • MEJ公式サイト

 https://medicalexcellencejapan.org/jp/

  • 外国人患者受入れ体制に関する 厚生労働省の取組み/厚生労働省

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kenkouiryou/kokusaitenkai/gaikokujin_wg_dai1/sankou3.pdf

  • 日本医療教育財団公式サイト

 http://www.jme.or.jp/index.html

  • 訪日外国人旅行者の医療に関する実態調査・受入環境の整備強化を行いました/観光庁

 https://www.mlit.go.jp/kankocho/news08_000272.html

 

 真野俊樹

中央大学大学院戦略経営研究科教授・医学博士