製薬業界の産学連携の課題、田辺三菱製薬が進めるAI活用の行方 田辺三菱製薬株式会社代表取締役専務執行役員 子林孝司 (後編) 

2019.05.30 エキスパート

外部連携の取り組みが進む製薬業界。基礎研究との関わりについて、製薬会社における産学連携はどのようになっているのでしょうか。

後編では産学連携の課題、AI活用による臨床試験効率化の業界標準システム化、製薬会社個別のAI活用など製薬業界が直面している問題につき、田辺三菱製薬の子林専務の持論を伺いました。

中編 「社会的課題の解決」へ向け製薬業界は競争からコラボレーションへ

 

民間ではユニークだった「生命研」。基礎研究と製薬会社との関係

―― デジタルメディスンやアクセラレータープログラムのほかにも、製薬業界では外部との連携を近年特に積極的に進められている印象があります。一方で、研究領域における大学との産学連携もよく話題になります。今年のノーベル賞の際にも改めて大学と製薬会社の取り組みについて話題になりましたが、製薬業界における産学連携についてはどのようにお考えでしょうか、以前よりも進んでいるのでしょうか。

子林 率直に申し上げて、緒に就いたところだと思っています。

弊社の場合は2016年11月から、東京大学さんへ弊社の医薬品化合物約5万種のライブラリをご提供する形で産学連携を進めています。

―― この連携も今後さらに発展しそうですか。

子林 今のところは、まだ何とも申し上げられませんね。

―― では産学連携が発展する条件は何なのでしょうか。

子林 それは相手様があることなので、明快にはお答えできません。しかし敢えて私どもの希望を述べさせていただければ、アカデミアには基礎研究をもっと深めて欲しいとねがっています。

これは医薬品に限ったことではありません。日本の場合、あらゆる産業の基礎研究はやはりアカデミアに頼るしかないと思います。一企業が基礎研究に力を入れるのは、どうしても研究開発投資面で無理な状況ですから。

 

―― その面で、御社は製薬業界では非常に珍しく、基礎研究を行う研究所を運営されていた歴史がありますね。2010年に解散した「三菱化学生命科学研究所」、通称「生命研」です。民間の基礎研究所として、大変ユニークな研究所でした。

子林 そうですね。

生命研は1971年、当時の三菱化学さんがライフサイエンスの基礎研究のために全額出資で設立した民間研究所で、社会的に大きな影響を与えました。

因みに私の学生時代、生命研は理学系の学生にとって憧れの的で、生命研への入所を夢見て勉学に励む学生が多かったものです。

しかし、国際競争が激化し、成長戦略の観点から研究開発のコストパフォーマンスが重視されている現在、あのような最先端の基礎研究を一企業が続けるのは、もう夢のまた夢のような話になってしまいました。

だからこそ、アカデミアには基礎研究にもっと力を入れていただきたいのです。これは日本の産業全般の国際競争力に直結している話ですから。

 

「エコシステム」の概念導入が必要な産学連携

―― アカデミアの環境も厳しいですね。生命研の閉鎖もそうですが、利益創出に直結しにくい基礎研究は、昔よりも力を入れにくい環境になっているのでしょうか。

子林 それもあるのか、例えば基礎研究の論文発表数を見ると昔と比べ減っています。

ですから、日本の国力強化の観点から、独立行政法人化したアカデミアの基礎研究の在り方を、今一度国に見直してもらえればありがたいと、私は個人的に思っているのですが。

―― 産学連携の成果を上げるためには、何が重要だとお考えでしょうか。

子林 もっと「エコシステム」の概念を導入した産学連携が重要でしょうね。

現在の産学連携は、産と学の1対1のクローズドなシステムなのです。ですから連携しても互いの特定のネットワークしか利用できないので、それ以上の広がりは期待できません。それでどうしても研究の幅が限定されてしまうのです。
しかし、より連携をエコシステムとしてとらえて、産学の2つのネットワークにベンチャー、法務・会計専門家、ユーザなど様々なステークホルダのネットワークが加われば、研究の幅や視野が大きく拡大するでしょう。

すると、例え米粒ほどの小さなアイデアであっても、相互補完的に広がっているエコシステム的ネットワークの多様な価値観・見識を持った人たちのアイデアに揉まれると、そのアイデアは急速に成長し具体化し、早期に成果を上げる可能性が高まるのではないかと考えています。

―― 産学連携を大学と製薬会社の1対1の関係ではなく、エコシステムとしてとらえていくわけですね。

子林 そうです。創薬ターゲットを絞り込むのが難しい中で、製薬業界が従来通りのやり方で産学連携の成果を上げるのはどう考えても難しいと思うのです。

―― 2018年に発足した「免疫炎症性難病創薬コンソーシアム」は従来の産学連携から一歩前進した製薬業界の新しいタイプの産学連携と言えるのでしょうか。製薬会社が御社を始めとする3社連合、アカデミア側が慶應義塾大学を始めとする3機関連合の共同事業体です。

子林 そうなることを期待しています。

―― この共同事業体が成功すれば、それが試金石となってエコシステム型の産学連携へ発展する可能性は?

子林 個人的にはそうなって欲しいとねがっています。

 

田辺三菱製薬が目指す臨床試験効率化の業界標準システムとは

―― AI活用についてもお伺いできればと思います。御社は2018年3月から日立製作所と共同で、AIを活用した臨床試験効率化に取り組まれていますね。

子林 効率的な臨床試験プロセスの開発とその標準システム化ですね。実は2017年から、弊社は日立製作所さんと共同で医学情報の検索・収集の自動化システムを検討してきました。

新薬の有効性や安全性を検証する臨床試験は、精緻な実施計画の立案が必要なので、この立案段階で関連する専門分野のベテランたちの英知を結集した工程表作りが欠かせません。この工程表作りには多大な時間とコストを要します。

この立案作業を何とか改善できないかと模索する中で、医学情報の検索・収集に多くの時間とコストを費やしている事実に気が付いたのです。

―― つまり、立案作業改善のポイントは医学情報の検索・収集にあった。それで日立製作所の協力を得て、その自動化を目指した?

子林 日立製作所さんが開発した医療向けの自然言語処理やディープラーニングなどのAI技術を活用すれば、マンパワーに依存していた情報検索・収集時間を従来に比べ約70%も短縮できることが判明しました。AI技術の活用で自動収集した情報の正確性も確認できました。

この成果を基に弊社は日立製作所さんと二人三脚で、臨床試験全般の幅広い業務の効率化に向けた取り組みを行っている訳です。

近々、この成果を標準システム化したαバージョンが完成します。このバージョンの実効性を実証試験するため、弊社はαバージョンを国内外の製薬会社をはじめとした幅広い方々に使って頂きたいと日立製作所さんお願いしています。

その序でと言っては何ですが、私がもう1つ期待しているのが医療市場への参入を目指しているベンチャー各社への配布です。

―― ここでベンチャー各社との接点が生きてきますね。

子林 そうなのです。

製薬業界の固定観念に囚われていない彼らは、私どもやITベンダさんが気づかない素朴な疑問やアイデアをたくさん持っています。これをAIに学習させれば学習の幅が広がり、より実効性の高いβバージョンを早く作れます。

―― 健康保険組合、地方自治体など医療と繋がりがあるステークホルダにも何らかの形でαバージョンを使ってもらい、彼らの意見も聞ければ、臨床試験全般の効率化を促す業界標準システム誕生も夢ではないですね。社会的課題の解決に繋がるシステムでもありますし。

子林 未来志向をしていると、そのように夢がどんどん膨らみます。社員のモチベーションの視野もどんどん広がります。

 

医療費圧縮の社会的要請に応える、AI活用による間接費の圧縮

―― 最後のご質問です。AI活用の対象としては多くの領域があり、御社でも発表されていますが、御社では臨床試験効率化以外では、どの領域のAI活用について注力されているのでしょうか。

子林 当面は間接費の圧縮ですね。

製薬会社の事業構造は原価が2~4割、販管費が4~5割、利益が1~3割の比率です。この比率は他業種のメーカーさんも大同小異だと思います。ただ、製薬業界特有の問題として医療費との関係があります。

医療費総額のうち、薬剤費が約10兆円と推計されています(※)。この金額がメディアなどでしばしば批判の対象にされている訳ですが、これを縮小させるためには、原価圧縮はもうこれ以上無理なので販管費を圧縮するしかない訳です。

販管費を圧縮するためには業務効率化や省人化を図るしかないのですが、製薬業界でも間接部門のOA化が進んでいるので、従来のIT活用ではこれ以上は難しい状況なのです。AI活用による研究開発部門での時間と経費の圧縮効果は高いと思います。

これにより薬価値下げの可能性が高まり、薬剤費面における社会の要請に応えられるようになると思います。当面は、これを目標に弊社のAI活用を推進したいと考えています。

 

※厚生労働省の「平成29年度 医療費の動向」によれば、医療費総額は42.2兆円で、このうち薬剤費(調剤)が7.7兆円を占めている。ただしこれは「医療機関からの診療報酬請求」に基づく集計額なので、他の需要を含めた薬剤費の総額は約10兆円と推計されている。

 

インタビュー:川口荘史

記事作成:福井晋

撮影:Masanori Naruse

プロフィール

子林孝司:田辺三菱製薬株式会社代表取締役専務執行役員。1980年3月、京都大学理学部卒業後、旧田辺製薬(現田辺三菱製薬)に入社。1993年同社在職のまま東京大学大学院農学系研究科農学博士号取得。秘書室長、医薬営業本部営業企画部長を経て2007年に執行役員経営管理部長に就任。その後、取締役執行役員経営企画部長、取締役常務執行役員事業部門・社長特命事項担当、取締役常務執行役員研究本部長、取締役常務執行役員創薬本部長兼東京本社担当、代表取締役専務執行役員創薬本部長兼東京本社担当、代表取締役専務執行役員CMC本部長を歴任。2018年4月より現職