【海外M&A:東南アジア】価格交渉における難易度など、国ごとに見ていくべきM&A環境の成熟度

2017.10.13 海外市場

東南アジアでは、先進国企業などの域外からの投資のほかにも、東南アジア企業同士のM&Aも積極的に行われてきています。こうした、東南アジアの大手企業がさらなる拡大を求め、他の東南アジア企業を買収する動きも増えてきました。

今回は、新興国におけるM&A環境を見極めていく中で、「現地でのM&A案件数や過去実績の蓄積」がどのように価格交渉や案件成立の成功確度に影響を与えているのか、を見ていきたいと思います。

 

東南アジア域内でのM&A。タイ企業によるインドネシア企業の買収とその中止

東南アジアの大手企業による同領域の買収案件では次のように中止している事例もあります。

インドネシアのモデルン・インターナショナルは、同社がフランチャイズ展開しているコンビニエンスストア「セブン—イレブン」のタイの大手財閥チャロン・ポカパン子会社への売却を中止しました。チャロン・ポカパンは、セブン―イレブンの買収に1兆ルピア(約83億円)を投じると表明していました。中止の理由は、両社での重要事項について合意が得られなかったためとのことです。

<参考記事>

「セブンイレブン買収中止、タイ系財閥CP」

 

今回は、こうした記事や発表されている内容からは見えてこない、M&A案件の裏側の価格交渉や、アドバイザーの動き方などの観点から、新興国におけるM&Aの注意点について説明していきます。

 

「現地でのM&A案件数や過去実績の蓄積」が重要な3つの理由

まず、新興国においてM&Aを検討する上で重要な「6つの要素」のうちの一つである「現地でのM&A案件数や過去実績の蓄積」がなぜ重要か、こうした案件実績の蓄積によってなぜ現地でのM&Aがやりやすくなるかについてみていきます。専門家の杉田氏によると、その理由は3つあるようです。

 

Q:なぜ、「現地でのM&A案件数や過去実績の蓄積」がM&A案件のやりやすさに関係するのでしょうか?

杉田:M&Aをスムーズに実行していくにあたって、その市場における「現地でのM&A案件数や過去実績の蓄積」がなぜ重要か、ここでは、次の3つの理由を挙げたいと思います。

(1)対象会社のベンチマーク価格がより現実的な水準になること

(2)相手をだますインセンティブが比較的下がること

(3)現地のアドバイザーの力量が上がること

 

Q:「対象会社のベンチマーク価格がより現実的な水準になること」、とはどういうことですか?

杉田:これは、平たく言うと、案件が多い国の方が、売り手側が提示する価格がより現実的な(つまりより“吹っ掛け”の少ない)価格水準になりがちということです。

つまり、案件数が少ない国では吹っ掛けられるリスクが高くなる。この点を理解するためには、M&A案件における価格の設定の考え方について少し理解する必要があります。

 

類似会社比較法など買収対象会社の価値算定について

 

価値算定はM&Aのプロセスでも重要なものの一つですが、M&Aの難しさの一つに、その対象会社の本当の価値が明確には分からない点があります。

そうした中で会社の企業価値を算定する手法は(今回は詳細は省くものの)いくつかあるのですが、M&Aの価格算定の際は、その価格のベンチマークとなるような目線感が重要になります。

Q:市場価格がわからないような非上場企業に対して、M&Aにおける価値算定で用いられる方法にはどういったものがあるでしょうか?

杉田:基本的なお話になりますが、M&Aの対象会社の価格算定では、「おおよそこの業界でこのぐらいの業績の会社であれば、どの程度か」といった推測を行う方法はあります。

ここでは価格算定の詳細については述べませんが、例えば、同じような業種の会社で、同じような売り上げ規模や利益率の会社が上場企業であれば、その会社の市場価値、時価総額を参照するといった方法です。この場合、参照する価格は、株式市場で実際に評価されている価値になります。

今回は、様々な価値算定の方法についての説明は省きますが、上記は、買収対象企業の業種や事業内容が近い類似企業の売上やEBITDA、営業利益、純利益などの各種指標の企業価値・時価総額への倍率を参照し、対象会社の価値評価を行う類似会社比較法といわれる方法です。

Q:M&Aの価格交渉において、買い手側、売り手側の目線感がある程度そろい、対象会社が適切な価格での売却となるように、価格交渉をスムーズに行うためには、こうしたベンチマークとなるものがある必要がありますね。

杉田:こうした上場している類似企業の市場価格の他にも参照できる価格があります。それは、過去にM&Aで実際に取引された価格です。例えば、過去に同じような業種の会社で、同じような業績の会社が、実際に取引された価格があれば、それを参照していくことになります。

過去の案件での取引価値なので、対象会社の価格の推測を行う際の有益な情報ではあるのですが、気を付けなければいけない点もあります。それは、こうした過去の取引の背景が特殊なものであった場合など、必ずしもその価格が当てはまるわけではないことです。

過去に類似企業のM&Aがあれば、そのときのバリュエーションを参照することができます。ただし、過去の案件でも特殊な背景があった場合は、必ずしもそのバリュエーションをそのまま当てはめていくことはできません。

Q:過去案件での特殊な背景とは例えばどういったものでしょうか?

杉田:例えば、売り手が早急に売却しなければならなかったので、当初の想定売却価格よりも大幅に値段を下げた案件。また逆に買い手候補が殺到したため、売却価格が吊り上がった案件かもしれません。そうした個別のM&A案件の特殊性や交渉の背景はなかなか表には出てこないため、どこまで本当に今回の案件にあてはめられるかは正直不明な場合が多いです。

 

このように、M&Aにおいても、価格の参照となるものがあります。ただし、そうした過去案件の価格などはあくまでベンチマークです。

これらを参照価格として活用し、実際の価値算定の際にはいくつかの方法や指標を組み合わせて説明できるようにするということが一般的です。

 

案件数が少ない国や業界は「吹っ掛けてくる」可能性がより高くなる

M&Aでの価値算定については既に述べたような、例えば過去案件の価格や、上場している類似企業の価格などを参照していく評価方法があります。

ただし、過去の案件をみていくときに注意するべき点として、それぞれのM&Aは背景が異なるため、買い手側に交渉力があるケースや売り手側に交渉力があるケースがあることです。ただ、参照する過去の案件が多数あれば、納得感のある価格の水準が見えてきます。

そのため、今回の話のように、交渉をスムーズに進める上で、買い手側と売り手側の双方が客観的で信頼性の高い価格の目線感をもつため、参照できる案件数の多さが重要になるのです。

Q:過去案件でもそれぞれ背景が異なるので、中には参照するべきではない異常値のような買収価格もありますね。

杉田:過去のM&A案件をみていくと、中にはベンチマークとしては適切ではない高すぎる価格や、安すぎる価格の案件もあるかもしれません。ただし、今まで多くの案件が行われてきたのであれば、それらの平均値や中央値を取るなどすることにより、個別案件の特殊性を取り除いたおおよその価格の水準が見えてくるのです。そのため、過去の案件の蓄積のある市場の方が価格の算定と交渉がよりスムーズに進むといえます。

Q:逆に案件実績の少ない国の場合は、そうした価格交渉も難しくなるということですね。

杉田:M&Aが活発な国におけるアドバイザーは、通常注意深くアンテナを張って過去の案件の価格水準をフォローしているので、現地の売り手側の会社も「おおよそこの業界であれば、この程度の価格が“一般的な水準”」として、その目線を意識して案件をスタートすることが多いです。

一方、案件実績のあまりない国の場合、たまたま高く決定した案件が「価格のスタンダード」になってしまうこともあります。「過去に別の日系会社が、この業界の類似の企業を、いくら払って買っていった」という情報が、業界の中でシェアされていて、現地の売り手側企業も「うちも案件を行うのであれば、この金額でなければやりたくない」と言ってくるのです。

このように、案件数が少ない国では、特殊な状況下でたまたま高くなった価格などに引っ張られてしまって、高い価格での交渉になるリスクがあります。

案件数が多ければそういった異常値の価格は無視できるのですが、少ない場合では売り手側がそのような高値の案件を積極的に参照してくることもあって、価格交渉も難易度が上がります。

Q:過去のたまたま高額になった案件がスタンダードになり、高額での案件の交渉になってしまう。そうなると案件の成立確度が下がってしまいますね。

杉田:そうした場合は、アドバイザーであればその時の案件の特殊性や、今回の案件では必ずしもその金額が妥当でないことを主張します。しかし、売り手側の頭に織り込まれた価格はなかなか解きほぐすのが困難です。

中には、過去の案件の水準とは関係なく、「この価格でなければやらない」といった、通常の価格より大幅にかい離した価格から相手がスタートすることもあります。このような、あまりに“吹っ掛け”がひどすぎる場合は、日系企業の多くは検討すらしないこと場合が多いです。

M&Aのアドバイザーがいれば、こうした異常値での交渉を避けるために、参照するべき案件と参照するべきではない案件なども説明しつつ案件の目線感をそろえていくようにします。ただし、新興国ではそうした過去案件での異常なバリュエーションが刷り込まれてしまっていると、アドバイザーがいたとしても価格交渉は難しいものになります。

ただ、通常の価格より大幅にかい離した価格から交渉がスタートしてしまうという、市場が成熟してないからこそ起きがちな売り手側からの価格の「吹っ掛け」。実はどれだけ「吹っ掛け」を行うかは、次に述べている「案件数が多くなればなるほど、相手をだますインセンティブが比較的下がること」にも関係しています。

 

なぜ「案件数が多くなるほど、相手をだますインセンティブが下がる」のか

 

Q:過去の案件の蓄積が不十分で、高額の金額の事例ができてしまっていたり、そもそも価格水準がみえていない新興国でのM&A。売り手側の「吹っかけ」に対しては、買い手側アドバイザーを含めて適切に交渉していく必要がありますね。

杉田:こうした「吹っかけ」は、より案件が少ない環境において起きやすいです。つまり、案件数が“吹っ掛け度合い”に大きく関係してきます。案件数が少ない場合は、そもそも案件の希少性もあるので、売り手側は「これを逃したら、こんないい案件はもう出てこないよ」と価格を吊り上げて交渉してくる傾向にあります。

加えて、案件数が少ない環境だと、価格を吹っ掛けてもそれによる売り手側アドバイザーのダメージも少ないのです。

 

Q:売り手側アドバイザーは、案件数が少ない環境であれば価格を吹っかけやすい環境にあるということでしょうか?

杉田:当然、売却価格の最大化も売り手側アドバイザーのミッションの一つですが、徒に市場感から乖離した金額で交渉していくことは、交渉プロセスを困難にし、案件の成功確度を下げるのであれば意味がありません。さすがに投資銀行などのプロの世界では、売り手側のアドバイザーが価格をあまりに「吹っ掛ける」と、「彼の案件は高値で吹っ掛けてくる傾向にある」というような評判になります。そうなるとその後の案件の交渉において、マイナスに働く。つまり長い時間軸で見ると、“吹っ掛け”てばかりいると、評判の低下によるマイナスのダメージが働くのです。

ところが、案件があまりない場合は、より「この案件で吹っ掛けて、あわよくば勝ち逃げをしよう」とのインセンティブがより働きます。その裏には「どうせ、評判が多少下がったとしても、相手とまた会うこともどうせないだろうから、気にすることはない。」との思いがある。

 

Q:価格の最大化は売り手側アドバイザーのミッションの一つではありますが、それがすべてではありません。アドバイザーとして、プロとしての信頼性がアドバイザー間でもあった方が、交渉がスムーズにいきますね。

杉田:こうした傾向は、長期間M&AにかかわるプロフェッショナルなM&Aアドバイザーがあまりいない国ではより顕著です。なぜなら、プロとしての長期的な評価など気にせずに、その他の条件などの他の要素を総合的に考えるのではなく、目の前の案件をとにかく高く売りぬけてしまおうとだけ思っている売り手側のスタンスがより顕著になるからです。

案件数が多くなれば、長期的に相手をだますことによるマイナス面もより大きくなるために、“吹っ掛ける”インセンティブが下がり、結果としてより適切な交渉を行う、M&Aがやりやすい環境になるのです。

 

M&Aアドバイザーが長期的に生存できる環境とは

これまでの話から見えてくるのは、より長期に活動しているM&Aアドバイザーは、案件で “吹っ掛け”たり、そのためにだますことをするとマイナスの影響が大きくなるので、プロとして適切に交渉していくことになるということです。

Q:こうした適切な交渉が可能となる長期的に活動しているM&Aアドバイザーはどういった環境であれば増加していくのでしょうか。

杉田:端的にいうと、より案件数が多い環境です。M&Aアドバイザーはそれを生業としているので、より案件数が多いほど、M&Aアドバイザーとしての「市場規模」が大きくなる。そうなれば、よりフィーの水準も高くなり、継続しようとするインセンティブも高まります。

逆に、案件数が限られていると、長期的に安定して職業として成り立てることが困難になる。従って、M&Aアドバイザーの平均したキャリアの期間も短くなってきます。

また、案件数が少なければ、アドバイザーとしての習熟度の上がり方も限られてきます。M&Aアドバイザーは、例えばMBA(経営学修士)のクラスでM&Aのクラスを取ったから、すぐにできるようなものではありません。多くの案件を地道にこなしながら、いろいろなタイプの案件経験を経て、徐々に習熟度を高めていく必要があります。

したがって、熟練したM&Aアドバイザーを養成するためには、案件が多い環境が必要なのです。

M&Aアドバイザーが長期間生存できる環境のほうが、結果として案件も成立しやすく、M&A環境がより活発化するということを意味します。一方でそうしたM&Aアドバイザーを養成するためには、そもそも市場でM&Aが一定数以上ある必要があります。市場でM&Aの案件成立が増えていくほど、M&Aアドバイザーも育ち、適切な交渉が可能となり、さらにM&Aが増加していくといったことになります。

次回は、「M&Aのやりやすさを決める主要素6項目」のうち、5項目の「現地企業におけるM&Aに対する意識」について説明します。

 

 

プロフィール:杉田浩一

株式会社アジア戦略アドバイザリー 代表取締役。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)経済学修士課程卒。15年間にわたり外資系投資銀行にて、海外進出戦略立案サポートや、M&Aアドバイザリーをはじめとするコーポレートファイナンス業務に携わる。UBS証券会社投資銀行本部を経て、米系投資銀行のフーリハン・ローキーにて在日副代表を務める。著書「実践ミャンマー進出戦略立案マニュアル」(ダイヤモンド社)、「チャイナショックで荒れ狂うアジアのビジネス・リスク」(B&Tブックス)、他。現在、共同通信系メディアNNAにて、経済ニュースから見るASEANを連載中