【海外M&A:東南アジア】ミャンマーの取引所開設がもたらした情報開示のスタンスの変化。M&Aに重要な資本市場の整備状況

2017.11.03 海外市場

今回は「M&Aの行いやすさと資本市場の関係」について

タイの消費財大手サハ・グループ傘下の持ち株会社サハ・パタナ・インターホールディング(SPI)が計画している傘下の食品会社の買収が頓挫する可能性が出てきた。同社の独立系フィナンシャルアドバイザー(IFA)が、買収される側の企業の株主に応じないように提案しているという。

同記事によると、SPIは傘下のタイ・プレジデント・フーズ(TF)と共同で、グループ傘下のプレジデント・ライス・プロダクツ(PR)を買収するため、株式公開買い付け(TOB)を計画している。ただし、1株当たりの提示価格は53.15バーツと、60バーツ程度の現在の株価を下回っているようだ。

「フィナンシャルアドバイザーを務める国際会計事務所のグラントソントンは、PRの適正株価は58.77~73.14バーツであり、SPIが提示している価格は安すぎると主張している。PRの株主に対して、TOBに応じず、売却したい場合はタイ証券取引所(SET)の取引を利用することを提案している」とのこと。

<参考記事>

「サハパタナの傘下企業買収、IFAが異議」

東南アジアにおいても、合併・買収(M&A)の買収価格において、証券取引所での価格は重要な意味を持っています。今回の記事では、このような資本市場のM&A案件における意義について考えてみましょう。

 

M&A環境において「資本市場の整備状況」が重要な3つの理由

先進国のM&Aばかり扱っているとその重要性を忘れがちですが、そもそも新興国では資本市場が十分に整備されていない場合もあります。

そのため、国によって資本市場の整備状況が異なり、それがM&Aを進める上で影響を及ぼすのです。

Q:なぜ、「資本市場の整備状況」がM&A案件のやりやすさに関係するのでしょうか?

杉田:ここでは、以下の3つの理由を挙げたいと思います。

(1)    会社情報の開示と、それに対するスタンス

(2)    価値評価における指標

(3)    企業買収のための資金調達

まず(1)の「会社情報の開示と、それに対するスタンス」は、平たく言うと、上場企業は情報が一般開示されているため、M&Aの対象として検討する際の情報取得が大幅に容易であること、そして証券市場の存在により情報開示を行うインセンティブが高まることを意味しています。

 

上場企業の存在は、企業や業界の分析において大きなメリット

M&Aの検討において、上場企業の利点の一つとして、非上場企業に比べて情報が整備されており、財務や事業の情報取得が容易である点があげられます。

Q:確かに上場企業であれば情報獲得は容易ですね。

杉田:新興国における案件実施において、対象会社の情報入手が大きなハードルになります。特に、非上場会社の情報入手に困難が伴う場合、この点は一層顕著になります。

一方で、対象企業が仮に上場企業である場合、こうした情報入手のハードルは大幅に下がることになる。この点のメリットは、日本をはじめとしたどの国でもいえますが、より情報入手が困難な新興国のほうが、このメリットは大きいといえます。

新興国の非上場企業では情報入手が困難であり、しかもその信頼性も十分ではありません。これが上場企業であれば信頼性の高い情報が容易に取得できます。

Q:その他、資本市場の整備度合いによって、企業や業界分析においてどういったメリットがあるでしょうか?

杉田:上場企業の存在は、その会社の属する業界を理解するためにも、非常に有効です。例えば、東南アジアのホテル業界の主要数値を見ようとするとき、ホテル資産を対象にした不動産投資信託(REIT)の開示情報を見ることにより、業界の動向が深く理解できます。

また、主要な企業であれば、証券アナリストがその企業に対するレポートを発行しているため、それによりその会社の情報に加えて、その企業が属する業界の情報についてもまとまった分析が手に入ります。

このように上場企業の情報を基に、業界全体の理解も容易になります。さらに主要な上場企業についてアナリストレポートが獲得できれば、非常に業界や企業の分析が容易になります。

 

証券市場には、現地企業に情報開示のメリットを知らしめる効果がある

上場企業の存在は、これまでに述べたような情報入手におけるメリットに加えて、もう一つ見過ごされがちな大きなメリットがあります。それは、現地の企業にとって、情報開示を行ったほうがよりメリットがあることを示すことができる点です。

杉田:一般的には、新興国の非上場企業の多くは、先進国企業と同様か、むしろそれ以上に会社の情報を隠す傾向にあります。特に儲かっている企業はその傾向が顕著です。

新興国では、税金を取れるところから取ろうとするスタンスが強く、かつ時として強権的な政府に私有財産を簒奪(さんだつ)されるようなこともあります。そのため、会社としては自分がお金を持っていることを対外的に開示するメリットは少ない。

つまり、新興国では儲かっている企業は税金を取られないように会社の情報を隠す傾向にある。そして、基本的に情報は隠した方がよい、儲かっていることを対外的に開示するメリットがない、という考えになっているようです。

Q:実際に新興国の企業で情報開示に障害が出たような事例がありますか?

杉田:特に長期的な軍事政権下にあった国などではこうした傾向が顕著です。例えば、ミャンマー企業に売り上げの情報を聞いても、どうみてもその会社の人件費総額と比較しても大幅に少ない金額を言ってくることもあります。

このように、新興国では財務情報を聞いても実際よりも小さな売上を言ってくることもあるそうです。

Q:新興国では、なかなか情報開示のメリットを認知させることは難しいのですね。

杉田:そうした国で、最初に会社を上場させるということは、それこそ現地企業において、コペルニクス的な考え方の転換が必要になるのかもしれません。今でこそ証券取引所ができて、上場企業も増えつつあるミャンマーですが、最初に証券取引所を立ち上げる際には、こうした現地企業に情報開示を行うことのメリットを納得させることが大きなハードルだったようです。

ミャンマーでは証券取引所ができ、上場企業も増加していますが、証券取引所の立ち上げではまずこうした情報開示についてのスタンスを変えることが難しかったようです。

 

ミャンマーでの取引所の開設がもたらした現地企業の情報開示のスタンスの変化

2015年12月に、ミャンマー初の証券取引所となるヤンゴン証券取引所(YSX)が開設されました。2016年3月には、同証券取引所の上場第1号として、不動産業等を手掛けるファースト・ミャンマー・インベストメント社の株式を上場し、取引を開始しています。日本取引所グループや、大和証券グループのシンクタンクである大和総研がミャンマーでの証券取引所設立に尽力しており、制度設計やシステム構築などで支援をしていることでも知られています。実際にヤンゴン証券取引所の運営会社には、ミャンマー連邦共和国財務省傘下の国営ミャンマー経済銀行と、大和総研、日本取引所が出資をしています。

大和総研によるミャンマーにおける証券取引所開設への取り組みは実に20年以上に及び、1996年のミャンマー経済銀行と大和総研の合弁企業としてミャンマー初の証券取引センター(MSEC)の設立後も、様々な支援をしてきました。

Q:ミャンマーでの証券取引所の開設までの道のりも大変だったそうですね。

現地での証券取引所の開設に向けて、主導的な役割を担ってきた大和証券グループが、最初に証券取引所開設に向けて動き出したのは1993年のことでした。(参考:ダイヤモンドオンライン、杉田浩一、「「株とは何だね?」の質問から苦節20年!証券取引不毛地帯でついに報われる大和の苦労(上)」より)。

その当時の上場候補企業の開拓における苦悩について、大和総研のアジア事業開発部副部長でシニアコンサルタントの杉下亮太氏(肩書は上記の記事の当時)から伺いました。

「1995年から97年くらいに、相当多くの現地企業を回って、上場の意思確認をやっています。ある程度の上場基準に見合う候補企業リストを作り、ターゲットを絞って個々の企業に上場意志を聞いていく。それでも、ほとんどの会社が興味ないという回答でした。なぜか。彼らにとっては何のメリットもないからです。取引対象となり情報公開することをいやがっていました」。

そう、まさに当時のミャンマー企業にとって情報公開するメリットは何もなかったのです。

情報公開するメリットを会社が感じていない、そんなミャンマーにおいても、証券市場が立ち上がりました。そして、上場することにより大きく企業価値を増加させた企業が出てくることで、情報開示をしてでも、上場するメリットがあることが徐々に浸透していきました。

こうした意識の変化が、企業の情報開示に対するスタンスを変えていくのです。

東南アジアにおける証券取引所

ミャンマーでの証券取引所開設は比較的最近の話でしたが、他国ではどのような状況かというと、東南アジアにおいて最大(時価総額ベース)の株式市場があるのはシンガポール(SGX)です。その他、タイ証券取引所、インドネシア証券取引所、フィリピン証券取引所、ベトナムのホーチミン証券取引所、ハノイ証券取引所、マレーシア証券取引所、カンボジア証券取引所、ラオス証券取引所などがあります。

 

類似する上場企業があることで価格交渉がまとまりやすくなる

次に、「(2)価値評価における指標」についてです。上場企業があることによって、M&Aにおける交渉の一つの争点となる価値算定もより容易になります。

Q:資本市場の整備によってもたらされる「価値評価における指標」とはどのような意味でしょうか。

杉田:以前も、M&A案件における価格の設定の考え方について少し説明しましたが、その中の、買収対象企業に対する企業価値算定の方法の一つに類似企業比較分析があります。同じような業種の会社で、同じような売り上げや利益率の会社が上場していたら、その企業価値を参照するという手法です。

類似している企業が上場している場合、価値算定における有益なベンチマークが得られることにより、対象企業の価値算定評価が行いやすくなります。

類似する上場企業はわかりやすい指標となるので、価格交渉においても目線が合いやすくなります。

Q:「価値評価における指標」によって価値算定が行いやすくなり、交渉もスムーズになりますね。

杉田:この類似企業比較分析の大きなポイントは、価値算定手法として極めてシンプルなため、恣意性が入る余地が少ないことです。したがって買い手側からも、また売り手側からも、この手法を用いると同じような結果が得られます。

以前、新興国では、吹っかけられるリスクが大きいと述べましたが、このようなベンチマークになる情報があると、現地企業もあながちそれを無視して価格を吹っかけてくることが難しくなります。そのため、買い手にとってより折り合いやすい価格で交渉しやすくなるのです。

類似企業分析は、M&Aの際に用いられることの多い手法です。先進国では類似企業を見つけて比較することは容易ですが、新興国では適切な類似企業の選定が難しく、そうした企業がそもそも国内では上場していなかったりします。

M&Aの案件プロセスにおいて破談につながる大きな要因ともなる価格交渉ですが、上場類似会社が存在するほうが、より価格での合意に至りやすい。ひいては、M&Aの案件成功の確度が高まりやすくなるといえます。

 

今後、より増加が期待される株式を対価とした買収

これまでみてきた情報開示、価格算定といったメリットに加えて、最後に資金調達におけるメリットについて説明いただきます。

Q:最後に、3点目の理由「企業買収のための資金調達」についてお伺いできればと思います。

杉田:企業買収のための資本市場による資金調達のメリットは、大きく2つあります。

一つ目は単純に、エクイティファイナンスを通じて買収資金を調達しやすくなること。これにより大型のM&A案件などでも、より機動的な買収資金の調達が可能になります。

2つ目は、資本市場と関連するM&A法制の整備により、株式を対価としたM&Aが可能になることです。これはつまり、買収企業に支払う対価として、現金ではなく自社の株式を用いることができるということです。

上場企業であれば、当然ながらエクイティファイナンスが可能になること、株式を対価としたM&Aも可能になるといった利点があります。

Q:対価として自社の株式を用いることができるため、買収がより容易になるということですね。

杉田:はい、これにより、買収側の企業は、現金を用立てせずにM&Aを行うことができることに加えて、特に自社の株式がより高く評価されればされるほど、相対的により安価で対象企業の株式を取得することが出来ます。

このような株式対価の案件を行う際には、資本市場の存在が重要な意味を持ちます。なぜならば、証券市場によって株式交換対価としての価値が市場での価格でより明確に分かることと、案件によって受け取った対価をより売却しやすい、つまり換金しやすくなるからです。

このような株式対価でのM&Aの実施においては、資本市場の整備に加えて、関連する法整備が重要になります。

日本においても、2006年5月の会社法施行及び2007年5月のいわゆる「三角合併」の解禁以降、日本のM&A法制において従前は困難とされたスキームや新たなスキームが実施されてきました。その結果、上場企業による三角株式交換、株式を対価とする公開買付けなど、株式を対価とするM&Aのストラクチャーの幅が大きく広がった経緯があります。

杉田:現状、東南アジアの新興国位おいては、総じてこのような法整備がしっかりされていません。従って、株式対価の案件の割合は、先進国のそれと比較してはまだ少ない状況にあります。今後、このような法整備が進むことになれば、より柔軟な買収ストラクチャー設計が可能になり、案件数の拡大につながっていくことが予想されます。

 

プロフィール:杉田浩一

株式会社アジア戦略アドバイザリー 代表取締役。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)経済学修士課程卒。15年間にわたり外資系投資銀行にて、海外進出戦略立案サポートや、M&Aアドバイザリーをはじめとするコーポレートファイナンス業務に携わる。UBS証券会社投資銀行本部を経て、米系投資銀行のフーリハン・ローキーにて在日副代表を務める。著書「実践ミャンマー進出戦略立案マニュアル」(ダイヤモンド社)、「チャイナショックで荒れ狂うアジアのビジネス・リスク」(B&Tブックス)、他。現在、共同通信系メディアNNAにて、経済ニュースから見るASEANを連載中